韓国の旅

2000年9月29日から2泊3日の日程で韓国に行きました。
目的は、ワールドカップに向けての韓国の街並みやスタジアムの見学、ウルサンサポーターとの交流。
温かく迎え入れてくれる韓国のホスピタリティに触れることができた有意義な旅となりました。

'00.9.29   大分 → 福岡 → プサン

午後1時頃プサン空港に到着。 まずはホテルのチェックインを済ませ、焼肉店で食事。
やはり、韓国の焼肉は美味です。

それからプサン市内の市場や商店街を散策しました。ワールドカップに関する看板等は大きな通りに設置されている程度で、盛り上がりはこれからといったところでしょうか。 グッズに関しては韓国オリジナルのものが地下道の商店街や市場で売られていましが、よく探さないと見つからないほどです。

歩き疲れた後の夕食は豪華に韓定食に

チャレンジしましたが、高麗人参の臭いが

きつくて3分の1程度しか食べられず、
食文化の違いを感じました。

 


韓定食

'00.9.29   ホテル → プサンスタジアム → ウルサン

プサンスタジアム
旅の目的の一つであるプサンスタジアム見学のためホテルを出発!プサンスタジアムへ行くために地下鉄を利用したのですが、券売機でのチケットの買い方が分かりません…。窓口で行きたい駅の名前を言って何とかチケットを購入できましたが、駅員さんも戸惑っていた様子。最後にかろうじて言った「カムサハムニダ」という言葉で駅員さんの顔にもやっと笑顔が・・・。

駅に着いてからは右も左も分からずに不安でしたが、 運よく日本語の通じるタクシーに乗ることができて一路プサンスタジアムへ。 タクシーの運転手さんは、事務局での手続きやスタジアム内の見学にも同行してくれました。


ハンドルにはサッカーボールが・・・

プサンスタジアムは収容人数最大80,000名の総合競技場で とても大きなスタジアム。 まずはプサンワールドカップ事務局の方に挨拶をし、PRビデオを観てからスタジアム内を見学しました。 2001年5月完成予定のため、私たちが見学に行った時は急ピッチで工事が進められている状況。

見学が終わり事務局に戻ると、来訪者用の記帳簿が置いてあったのでAPOの名前もしっかりと記帳してきました。そのページをめくってみると日本を含め世界各国の方が見学に来ていたのには驚き。突然の訪問にも関わらず、スタジアム関係者の方々の親切な対応がとても印象的でした。


APOの名前もバッチリ書いてきました

ウルサンスタジアム
午後は高速バスに乗り、ウルサンに1時間程で到着しました。 そこでウルサンワールドカップ事務局のシンさんと待ち合わせていたのですが、私たちは予定より早く到着したのでベンチに座って待つことに…。ところが、予定の時間になってもシンさんらしき人は現れません。そんな不安の中、日本語で「あなたたちは日本から来たのですか」と尋ねられました。その人は私たちのバスに一緒に乗っていた人でした。日本語が多少分かるらしく、私たちを探すシンさんを連れてきてくれて無事に合流。見知らぬ土地で見知らぬ人に助けられながら、私たちの旅は進んでいきます。

ウルサンスタジアムに到着した私たちは実際に競技場の中に入ってみました。ウルサンスタジアムは収容人数約4万2千のサッカー専用スタジアムでグランドと観客席の最前列は約10mの距離!世界のトップレベルの迫力あるプレーが間近で見られるのかと思うと、とてもうらやましく感じます。

ワールドカップの開催は夏ということで、スタジアム内の風通し等にかなり考慮しているようです。プサンスタジアムとの大きな違いは、周囲の自然が豊かであるということ。スタジアムの横には湖があり、それを囲む遊歩道の距離は2002m。多くの人がこの遊歩道を歩いてウルサンの自然の豊かさに触れてほしいと事務局の人は語っていました。

Kリーグ観戦

ウルサンスタジアム見学を終え、地元の韓国プロリーグ、ウルサン・ヒュンデタイガースのサポーターの事務局を訪問。ヒュンデのサポーターのみんなが大分を訪れてAPOと交流をしたことはウルサンの市報でも紹介されたと聞き、懐かしさと感激で当時の話は盛り上がりました。

ウルサンのみんなが大分を訪れた時の写真が事務局で飾られていました

その盛り上がりの勢いでウルサン・ヒュンデタイガースの試合観戦のため競技場へと移動。競技場ではペインティングをした多くのサポーターの前に立ち、韓国語での挨拶にチャレンジしました。発音が難しくてなかなか言葉は通じませんでしたが、気持ちだけは通じたようです。温かく迎え入れてもらい初めての韓国リーグの応援にも熱が入りましたが、ウルサン・ヒュンデタイガースは惜しくもPK戦で負けてしまいました。

試合が終わるとすぐに高速バスのターミナルへ向かい、プサン行きのバスのチケットを購入。辛かったのは、ずっと同行してくれたシンさんとのお別れでした。バスターミナルでずっと私たちのことを見送ってくれていた姿が今でも思い出されます。

'00.10.1   韓国 → 大分

最終日はホテルを10時頃にチェックアウト。
プサンから空路福岡、JRにて博多から大分へと帰ってきました。日本に戻って来て最初に思ったことは、街の中に外国語の表記が少ないということ。私たちが韓国を訪問した時は、日本語を話せる人々に助けられてラッキーでした。しかし、日本ではどうだろうかと思わず考えてしまいます。2002年には多くの外国人が大分を訪れます。その時、私たちにもできることがあるはずです。それを気付かせてくれたのが、韓国の旅の一番の収穫だったように思います。